前日になってしまいましたが、投稿します。
プログラムノートやレジュメも載せます。ぜひご覧ください。
2024年12月29日「第1回博士リサイタルを終えて」を追記

大関一成 第1回博士リサイタル
「武満徹とジョン・ケージ・ショック-実験工房から1961年を越えて」[1]
1955年東京。25歳になるひとりの青年が芸術を志し、音楽に向き合っていた。
その名は武満徹。のちに日本を代表する作曲家と言われるまでになる。
前半には、そんな彼が聴いたかもしれない、もしくはその後、出会うことになるかもしれなかった音楽たち、そして、彼自身が命を賭して書き記した音楽を辿る。
バーンスタインのアメリカ=ジャズの響き、トマジのフランスの響きは、瀧口修造をメンターとする若手芸術集団「実験工房」で発表された武満徹の『室内協奏曲』と並んだとき、ある一種の「時代の響き」となるのではないだろうか。
それから6年後の1961年、彼はついにジョン・ケージと出会う。
これと翌年のケージ本人来日が与えた激震は日本において「ジョン・ケージ・ショック」とまで言われた。音楽と不確定性の関係に対してどのような態度をとるのか、世界中の作曲家たちが示した音楽の答えを後半で辿っていきたい。
プログラム
レナード・バーンスタイン『ミッピー2世のための哀歌』(1948)
アンリ・トマジ『生きるべきか死すべきか』(1963)*
武満徹『室内協奏曲』(1955)**
ジョン・ケージ『スライドトロンボーンのための独奏曲』 (1957/58)
武満徹『ピアニストのためのコロナ』(1962)***
ヤニス・クセナキス『リナイア-アゴン』(1972)****
日時
2024年12月26日(木) 19:00
会場
東京藝術大学音楽学部第6ホール
出演
トロンボーン/指揮**/ピアノ*** 大関一成
フルート** 石田みそら
フルート** 木下園子
オーボエ**/ピアノ*** 酒井弦太郎
クラリネット** 田中そよ香
クラリネット** 眞塩由希子
ファゴット** 聶浩軒
コントラファゴット** 幸野なな実
サクソフォン** 放生幹也
トランペット** 中田奏樂
トランペット** 武田力
ホルン** **** 谷ひな子
ホルン** 白戸麻未
トロンボーン* ** 青栁賢
トロンボーン* 藤原佳鈴
トロンボーン* 根市恵
チューバ**** 角田幸司
曲目のためのノート
レナード・バーンスタイン『ミッピー2世のための哀歌』(1948)
独奏トロンボーンのための作品。「ミッピー2世は兄弟であるバーティーの雑種犬だった。」と楽譜に記され、奏者は自分で足をタップしながら演奏する。
ブルース調の旋律、スウィング的なリズムに加えて、ウェストサイド物語など彼の他の作品にも見られる音形がバーンスタインらしさを出していると私は感じている。
アンリ・トマジ『生きるべきか死すべきか』(1963)
独奏バストロンボーンと3本のテナートロンボーンのための作品。
「ハムレットのモノローグ」と副題が付され、レチタティーヴォ的なシーンと、アリア的なシーンが交差しながら音楽が展開する。巧妙に特定の調性から逃れるように書かれた和声が苦しみや葛藤に満ちた独特の重い響きを生み出し、意味深長なモノローグを成り立たせる。
武満徹『室内協奏曲』(1955)
13人の奏者のための作品。
当時25歳だった武満徹は、結核との闘病、結婚を経て、『遮られない休息』以後3年ぶりに『室内協奏曲』を実験工房 室内楽作品演奏会で発表した。
小野光子によれば、武満徹は当時隣人だったN響ファゴット奏者三田平八郎氏からサリュソフォーンという珍しい楽器を教わり、この作品に用いたとされる[2]。しかし、残念ながら手配が困難なため、今回はコントラファゴットで代用する。
「Presuqu Lent」と「Piu mosso」(いずれも原文ママ)で成り立つA部分を2回繰り返し、後奏が付随する。小野光子によれば、武満は初演時の演奏会ではこの作品以外にもうひと作品発表する予定があったが体調が芳しくなく断念している[3]。これに加えて、前半部は練習番号や曲名以外が複写によるものであることや、小節数の少なさからも武満は結核からこの作品を書き上げることがやっとであったと私は推測している。
冒頭に「静かに残酷な響きで」と記され、各楽器の使用法ではフラッターツンゲ及びミュートによる音色の変化が特徴的である。不確定性の導入は認められず、武満が求める響きのために腐心し、模索した様子が垣間見られる。
ジョン・ケージ 『スライドトロンボーンのための独奏曲』(1957/58)[4]
この作品は、1961年に武満がケージに初めて実際に触れた演奏会で、一柳慧が黛敏郎の指揮で演奏した「ピアノとオーケストラのためのコンサート」の独奏トロンボーンパートである。
楽譜には音部記号や拍などの記載はなく、ミュートと演奏上の指示が書かれているだけだが、無作為に音が発せられるわけではない。いずれも記譜された音を演奏者が解釈しなければならず、それを実演する行為によって初めて成立する。つまり、楽譜によって発せられる音/音楽が確定されていない状態=不確定性が存在している。
ここで目を向けたいことは、演奏家に解釈可能性の幅を大きく持たせざるを得ないという不確定性の特質である。また、同時にケージの楽譜上の指示は「トロンボーンの音」という概念、そして音楽がいかに成立するかということを拡張/解体し、我々にその問題を現前させることである。
武満徹『ピアニストのためのコロナ』(1962)
「ジョン・ケージ・ショック」以後に発表された図形楽譜による作品。
二重の正円の周囲に記された模様が記号化され、演奏上の指示となっている。この作品でも解釈可能性の幅と楽音概念の拡張という前述の不確定性が存在している[5]。
今回の演奏では、事前にリアリゼーション(五線譜に書き起こすこと)は行わず、綿密な共同楽譜解釈作業を行なった。また、各楽章は楽譜に記載の順番の通りに行う。
STUDY FOR VIBRATION 振動の研究
STUDY FOR INTONATION イントネーションの研究
STUDY FOR ARTICULATION アーティキュレーションの研究
STUDY FOR EXPRESSION 表現の研究
STUDY FOR CONVERSATION 会話の研究
ヤニス・クセナキス『リナイア-アゴン』(1972)
伝説によると、高名な音楽家であるリノスは、アポロを挑発し打ちのめされた。この伝説は、敵対する二者(リノス=トロンボーン、アポロ=フレンチホルンかチューバ)の間の音楽的なゲームによって具現化される。伝説に反して、このゲームはリノスに救出のチャンスを与える。その実際のチャンスは、マトリクスの決定によって数学的にもたらされる。神に挑戦を挑むことは、冒涜ではなく、自身を越えることによって神を凌駕することである。5
この作品においては、演奏される音は全て五線譜に記譜されている。
楽曲の構成は以下の通りである。
LINOS AGAINST APOLLON リノス対アポロン
CHOICE OF COMBATS 戦いの選択 ①
CONBATS α,β,γ 戦いα,β,γ ②
INBETWEEN THE CONBATS α,β,γ 戦いα,β,γの間 ③
DESTINY SUSPENS 運命のサスペンション
しかし、それぞれの「CONBATS α,β,γ」を演奏する順序は、「CHOICE OF COMBATS」の楽譜上に記されたマトリクスによって一種のゲームのように決定される。
今回の演奏では、「CHOICE OF COMBATS」中に奏者が(α,β,γ)のいずれを選択しているのか分かりやすくするため、審判役が図示を行うことにした。また、「CHOICE OF COMBATS」及び「CONBATS α,β,γ」いずれにおいても審判役が「STOP」の指示を行う。①→②→③を「CONBATS α,β,γ」の全種類を演奏し終えるまで、繰り返す。
クセナキスは演奏される音に関しては、非常に詳細に、時には演奏不可能に思えるほど難しく記譜を行なった。しかし、このゲームによる演奏順の決定と審判の介入は、実演を行う者に同じく解釈可能性の幅を持たせるという点で、不確定性が存在する。
あとがき 第1回博士リサイタルに際して
まがりなりにも研究者の端くれである博士後期課程の身分の私がリサイタルを作るにあたって最も大切にしたかったことは、世界観を作ることである。あくまでリサイタルにおいては歴史的事象や楽曲分析の結果を詳らかに説明し、自らの主張を行うことに主眼を置きたくはなかった。
それでは、私が作りたかった世界観とは何か。それは、今の私とほぼ同年代だった武満徹が見聞きしたかもしれない1961年周辺である。これに際して、ケージの存在は避けては通れなかった。
今の私から武満を見ると、これは結果論でしかないが、世界の音楽史の潮目が変わる瞬間が彼の上に結節していくように見える。彼の生き様とその周辺は偶然にも西洋音楽や戦後日本/世界の写し鏡のようになっているように感じるのは私だけだろうか。
トロンボーン専攻である私が指揮をしたりピアノを弾いたりすることを怪訝に思う方もいるかもしれない。しかし、有名な話であるように武満は紙ピアノから始まった[6]。時には実験工房バレエ公演の本番で、スコアがない箇所でもオーケストラの前で指揮をしていた[7]。そんな非常に人間らしい作曲家を無闇に神格化せず、一人の人間として直視し、博士リサイタルとして彼の生きた世界観を現出させるためには、指揮もピアノも私自身でやりたかった。どうかお許しいただきたい。
第2回博士リサイタルでは、1970年代以降の武満徹の周縁に目を向ける。ぜひ楽しみに聴いていただきたい。
このリサイタルを開催するにあたり、ご指導いただきました先生方、ご出演いただきました奏者の皆様、ご協力いただきました全ての皆様に心より感謝申し上げます。
第1回博士リサイタルを終えて(2024年12月29日追記)
直前のご案内にも関わらず、多くのお客様にお聴きいただき本当にありがとうございました。無事、終演してホッとしています。
まず、このリサイタルに出演してくださった皆様に本当に心から感謝申し上げます。年末の忙しい時期に、非常に素晴らしい演奏をしてくださり、なんとお礼を申し上げれば良いかわかりません。本当にありがとうございました。
そして、パートナーの小田美紗希さんに、演奏会のことも、生活のことも、たくさんサポートしてもらいました。ありがとう。
まず、1番の感じていることは準備の全てが後手後手に回ってしまったという反省だ。その原因は、「博士リサイタル」というものをどのようにつくれば良いのか完全に手探りだったことにある。
当然入学段階で研究計画書に第1回博士リサイタルは武満徹『室内協奏曲』を中心にプログラムを組むと書いたわけだが、1曲だけでは演奏会が成り立たない。ましてや、トロンボーンを中心に据えて私のリサイタルにするにはどうすればいいのか試行錯誤を繰り返す毎日だった。結果的には、「もし自分とほぼ同い年の武満が自分のトロンボーンを聴いたとしたらどう感じただろう?」とふと思い、ジャズとケージを閃いたことで問題が解決できた。
次回は、武満徹の『Waves』を中心に据える。今回の経験を活かして、今からプログラムを考えなければいけない。
リサイタルの自分の演奏には、手応えがあった。特に、『生きるべきか死すべきか』は学部1年生の時に演奏して以来、実に6年ぶりの演奏だった。アグレッシヴな音色になりすぎてしまう衒いがあった私の演奏を客観視して、役者が話すようにするにはどうすれば良いか一歩引いて自分を見ることができた。さらに離見の見を目指したい。また、テナートロンボーンと指揮、ピアノも演奏会で披露できる程度にはできたと思う。しかし、課題も多く見つかった。テナートロンボーンはともかく、指揮を勉強してみたいと思った。そういう意味での手応えがあった。
トークに関しては賛否両論あると思うが、自分としては酒井弦太郎くん(げんちゃん)へのインタビューはとてもよかったと思っている。「武満が結核で生死を意識したことを演奏家として意識せざるを得ない」という話や、「ピアノのためのコロナ」ではなく「ピアニストのためのコロナ」とは何か考えた、という彼の視座の提供は聴衆だけでなく、私自身にも気づきを与えてくれた。
一方で、博士リサイタルがトークでカジュアルになりすぎてしまうのではないかという指摘もいただいた。次回には、両者のバランスを考えた上で、あるべき博士リサイタル像を作りたい。
[1] 1961年8月大阪で開催された「第4回現代音楽祭」(二十世紀音楽研究所主催)において当時アメリカ留学から帰国したばかりの一柳慧によってケージらのアメリカ実験音楽が実演という形で初めて日本に紹介された。武満はここが実際にケージの音楽に触れた最初だったと後年語っている。今回のリサイタルでは「音楽史的」に1961年をターニングポイントとして扱うわけではなく、武満徹にとっての分岐点として考えている。
[2] 小野光子『武満徹 ある作曲家の肖像』 東京: 音楽之友社、2016年、66ページ。
[3] ibid. 75ページ。
[4] 実はタイトル自体に揺れがある。楽譜の表紙には「Concert for Piano and Orchestra Solo for Sliding Trumpet(原文ママ)」と記されており、本扉以降ではTrumpetではなくTromboneと記載される。
[5] ただし、「STUDY FOR CONVERSATION」のみ記号化は行われていない。
5 Iannis, xenakis. 1972. Linaia-Agon. Paris: Edition Salabert.
[6] 武満徹『音楽の余白から』 東京: 新潮社、1980年、153ページ。
[7] 『実験工房展―戦後芸術を切り拓く』 東京:読売新聞社、美術館連絡協議会、2013年、261ページ。
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